稚内発祥の地

249.gif『稚内発祥の地』

所在地  大字宗谷村字宗谷

 稚内の基となる宗谷村のはじまりは、明治12年(1879)7月1日に戸長役場が設置されたことによる。当時、宗谷は宗谷村、泊内村、猿払村、稚内村、声問村、抜海村の中心地で戸長役場と共に宗谷・枝幸・利尻・礼文郡の宗谷外三郡役所も置かれて開村となった。

 ここ宗谷の地は、貞享年間から北方の要衝として栄え、重要視されてきた地域であったが、開村の頃から対岸の稚内村に賑わいが移りつつあった。これは道南・本州と結ぶ唯一の交通機関であった船舶の大型化・蒸気船化が進に従って、遠浅で岩礁の多い宗谷海岸が敬遠されたことに原因があるが、明治21年9月に戸長役場・郡役所・警察署・郵便局が稚内に移ってその趨勢は決定的となった。その後、明治33年稚内村が分村し稚内・抜海・声問を区域すると稚内町発足、明治42年二級町村制施行による宗谷村、大正13年宗谷村から猿払村分村独立、昭和30年稚内市に母村である宗谷村を併合して今日に至っている。

 宗谷場所開設以来、政治・経済・交通・文化の中心として栄え、北に向かって開かれた文化の玄関口として果たした宗谷の役割は極めて大きく、多くの歴史的史跡と共に稚内発展の祖地としての存在価値は変ることがない。

 現在「稚内発祥之地」碑が建つ地は、長い間宗谷戸長役場と共に宗谷外三郡役所が置かれていた場所である。

(稚内市史 稚内の文化財総合編 参照)

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