1月14日 愛と希望と勇気の日(タローとジローの生存確認日)

IN03H.jpg1959(昭和34)年のこの日、南極に置き去りにされた南極観測隊の2匹のカラフト犬・タロとジロの生存が確認され、南極から打電されたこのニュースは、世界を愛と希望と勇気の感動で包んだ。

 昭和30年、日本は南極観測に参加することを決めました。南極観測に参加するために観測
するグループを決めなければなりませんでした。
南極で色んなことを調べる人たちはすぐに決まりましたが、活動するために寝たりする場所を
作る人がなかなか決まりませんでした。
この役目は子どもの頃から真っ白な氷の世界にあこがれてきた登山家でありエンジニアでも
ある西堀栄三郎という人にやってもらうことになりました。
 南極観測に行くと決まったときから西堀さんは飛行機と犬とで南極を進もうと思っていまし
た。なぜなら昔に北極や南極を探検して成功した人たちは必ず犬橇を使っていたからです。
関係者に犬橇が必要だと説得して、昭和31年1月に犬橇隊が結成されました。

 この時点で11月の出発まで10ヶ月しか時間がなかったため、少しでも早く寒い場所でも
行動できる良い犬を探して訓練を始めなければいけませんでした。
しかしここでどんな犬にそりをひかせようか、という問題がありました。
外国ではハスキーかサモエドというどちらも大きな犬に引かせていました。
だけれども「日本には樺太犬という立派な犬がいるじゃないか。世界に樺太犬のすばらしさ
を教えよう」という声があがり、樺太犬に犬橇を引かせることに決まりました。
西堀さんは犬を集めるためにすぐに北海道へ向かいました。
 樺太犬は体力があり、少しのエサでも寒さにがまんでき、指の間に毛がたくさん生えてい
るため雪の上で仕事するのが得意なのです。
西堀さんががんばったこともあり、少しずつだけれど犬たちが集まってきました。
こうして訓練を始められるようになったのが3月末でした。

 稚内市はすぐに稚内公園を訓練のために使っても良いと言いましたが、それだけでなく訓
練所の建物を用意してくれたり、犬たちのエサを買ってくれたりといろいろと南極観測グルー
プを支えてくれました。しかも稚内は雪が多く、風が強く、そして犬のエサになる魚もたくさん
あり、犬橇訓練のために広いコースもとれるため、訓練する場所としては最高な場所でした。

 それから稚内公園で訓練すること8ヶ月間、樺太から帰ってきた後藤直太郎さんの調教に
よって、犬たちは少しずつ南極でも活動できるように成長していきました。

 昭和31年11月8日、ついに東京の晴海ふ頭から南極に向かう観測船「宗谷」が出発しまし
た。このときに宗谷に乗っていたのは観測グループ53名、船の乗組員77名、樺太犬22頭、
そのうち2頭はまだ子犬でした。そしてネコが1匹にカナリアが2羽でした。
南極に着くまでの間の一番の問題は犬たちの健康でした。
樺太犬は寒さには強いけれども、赤道の暑さを乗り切れるだろうか分らなかったのです。
前に南極に観測にいったグループは暑さによってほとんど全ての樺太犬を失ったといわれて
いました。そのため犬たちの部屋には当時まだ手に入りづらかった冷房があったそうです。
この冷房のおかげで無事に赤道を通過することができました。東京を出てから2ヶ月以上た
った昭和32年1月18日、観測船宗谷はついに南極大陸を見つけました。

そしてまだだれも着たことのなかったプリンス・ハラルド海岸の一部分にあるオングル島へと
犬橇と雪上車でたどり着いた観測グループは、そこを昭和基地と呼ぶことにしました。
その日から宗谷と基地との間で荷物運びが寝る間もないくらいに行われ、住む場所や観測
するための建物が建設されていきました。

そして2月15日、宗谷は観測グループの中から11名と19頭の樺太犬を残して、日本へ帰っ
ていきました。残った観測グループはいよいよ活動を開始しました。
南極は思ったとおり気象が悪く、食べ物や貴重な燃料があった氷原が一夜にして流されて
いったり、ブリザードの時は外においてあった食べ物をとりに行くのさえ大変だったといいま
す。

ところで基地の風下に犬たちはいたのですが、この南極の寒さの中、用意された犬小屋に
入ることもなく多くの犬たちは1年間を外で寝起きしたというからおどろきです。

7月の半ば、ついに南極を進む時がきました。
しかし雪上車は寒さで不調だったため、犬橇がそれに代わりました。
調べるために行かなければならないボツンヌーテンまでたくさんの荷物をもち、27日間も歩
かなければなりませんでした。
犬たちの足もケガだらけで、観測グループの人たちは手当てをしたり手袋をはかせたりして、
支えあって着いたのです。
結果そりをひいた犬たちは無事に基地に帰ってきましたが、残った犬の中には病気になり、
息を引き取ったものもいました。

南極での1年間でかわいい犬たちを少しずつ失っていきましたが、一頭だけメスであったシロ
という犬が子犬を生んだりとうれしいニュースもありました。
1 年間南極で生活してきた南極観測グループでしたが、昭和32年12月に次の南極観測グ
ループを乗せた船がきました。
しかしいつも以上に氷が多く、31 日にブリザードが起こり宗谷は周りを氷にかこまれ動けな
くなってしまいました。
46日たってから動けるようになりましたが、宗谷はキズついてしまい、氷海に行くことは難し
くなってしまいました。それでもアメリカの船の助けもあり昭和基地の近くにつくことができま
した。

ですが次の南極観測のグループが昭和基地に来ることはできず、西堀さんたち南極観測グ
ループは帰らなければなりませんでした。
しかも犬たちを残さなければならず、1ヶ月分のエサをおいて1ヶ月後に自分たちか次のグル
ープがむかえにくると信じていました。

しかし悪天候が続き、結局1年もの間むかえに行くことはできませんでした。1年後、宗谷は
南極観測グループを乗せてふたたび南極にきました。そのころには残していった犬たちはす
べて死亡していると思われていました。
だけれどもタロとジロという兄弟犬が生きていました。
このニュースはすぐに観測船宗谷から日本へ伝わり、さらに世界へと広まりました。
この感動の出来事は人々の心を強くゆさぶったのでした。

(稚内観光協会「わたしがガイド」より)

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