稚内の紹介(稚内学-1)

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              昭和24年5月25日 稚内市鳥瞰図(稚内市立図書館蔵)

稚内市の紹介を、自然史的なもの、通史的なもの、産業分野など、多方向から随時掲載紹介致します。今回は、稚内市の概要を紹介いたします。

Ⅰ 稚内の概要
Ⅰ-1. 稚内市の沿革
稚内市は、北の宗谷海峡を中心に、東はオホーツク海、西は日本海に面し、宗谷岬からわずか43㎞の距離にロシア連邦サハリン州・サハリン島(旧・樺太)を望む日本最北端に位置する国境の街です。市街地は南北に伸びる丘陵地と海岸線にはさまれ、東西に約10㎞と細長く形成されています。 道内の35市の中では8番目に広い行政面積を持ち(※1)、香川県全体の約半分の広さがあり、市制施行(※2)は、昭和24年(1949)4月1日です。 明治12年(1879)、現在の宗谷地区に宗谷村の戸長(こちょう)役場(※3)を置いたのが、行政としての始まりにあたります。その後、もともとは宗谷村の一部だった現在の市街地地区が稚内村として分村され、地形的に港湾として恵まれた稚内村が発展を遂げ市となった後、昭和30年(1955)に宗谷村を合併して現在に至っています。地名は、アイヌ語の“ヤム・ワッカナイ”、すなわち「冷たい水の出る沢」という意味が語源となっています。その名の通り、江戸時代以前はアイヌの人たちが暮らしていました。本州に住んでいた人達が移り住み始めたのは、江戸時代(貞享(じょうきょう)2年(1685))に松前藩が、現在の宗谷に藩主の直轄領地として「宗谷場所」(※4)を開設したのが始まりといわれ、以来、交易の場として、また北方警備の重要箇所として栄えてきました。日露戦争後(※5)の明治38年(1905)、南樺太(現・サハリン島南部)が日本の領土となり、大正12年(1923)に、稚内-樺太間に定期航路が開かれてからは、重要港として築港工事が進められました。さらに、大正に入ると鉄道建設も行なわれ、鉄道は北海道を縦貫して稚内駅まで開通し、交通・運輸の基地として発展してきました。
また、周囲の海域は暖流と寒流が入り混じることから、良い漁場に恵まれ、古くから海の幸は人々の重要な糧となってきました。かつて、特に“ニシン漁”は稚内経済の大黒柱でした。その後、ニシンの大回遊が見られなくなってからは、沖合い底引き漁業を主とした漁業、水産加工業を基幹産業として発展してきましたが、昭和52年(1977)ソビエト連邦の200海里漁業専管水域設定により大きな打撃を受けました。今は漁業、水産加工業のほかに、酪農業なども盛んです。また、宗谷支庁の中心地として商業も発達しており、近年は、観光産業やサービス業も重要な産業となっています。 ロシアからの活ガニの輸入も盛んで、昭和63年(1988)~平成17年(2005)までの18年間は、活ガニ輸入量、連続日本一を誇っています。

※1 全国都道府県市区町村別面積調(平成21年4月1日現在)
※2 市制施行・・・市になること。
※3 戸長役場・・・明治時代に大区・小区制の下で小区の長として置かれた役人(庄屋・名主などから選ばれた現在の町村長にあたる)がその地域の事務を取り扱った所。
※4 場所・・・江戸時代の蝦夷地(現在の北海道)で松前氏が敷いた藩制において、松前氏家臣が現地アイヌと交易を行う対象地域のこと
※5 日露戦争・・・明治37年(1904)から明治38年(1905年)にかけて、大日本帝国とロシア帝国との間で朝鮮半島と中国満州(現在の中国東北部)を主戦場として発生した戦争。和平として締結されたポーツマス条約により、ロシアは樺太の北緯50度以南の領土を日本へ譲渡することを認めた。

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